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2024.09.03

寄稿

樋口一葉めぐる嬉しい出会い[71回 領家髙子(前田貴子)]

2024年の暑い夏も過ぎようとしております。 
皆様には日々いかがお過ごしでしょうか。

樋口一葉の家族史に取り組んでより、あっという間に時間が経ちました。思えば作家としての遅い出発から、皆様のお優しい励ましとご助力でようやく今日まで書き続けてまいりました。1月21日の新年会で「私が樋口一葉クロニクルを書こうと思ったワケ」と題して講演をさせていただきましたのも、その一つ。とても名誉なことで、前年度は東大名誉教授の法哲学者井上達夫さんが講師をつとめられました。(ちなみに井上さんは私にとっては一期上の伝説の先輩で、学友の尊敬と先生方の期待を一身に集められた方。毎日新聞社から出されたリベリベシリーズで知名度が高く御成です。最近のお写真を拝見すると真っ白なライオンキングのようで、実際に吠えたりもなさるご様子です)

写真は同期の方々。皆々変貌著しいものがありますが、お顔の真ん中を見つめていると昔の面影が浮かんできます。

先輩や後輩の方々のご参加もいただき、熱心なご質問も流石の内容でした。懇親会の福引では『なつ 樋口一葉奇跡の日々(平凡社)』を特等にしていただき、嬉しい事でした。

その『なつ』が出口治明さんよりお優しい書評をいただいていたことも、出口ファンの同期の方から初めて教えていただきました。〈領家髙子 りつ 出口 書評〉でネット検索できる
「出口治明ーHONZ」です。何卒お目通しいただけますよう。

出口さんへ淡交会報をお送りした処、光栄なことにはお目にかかれることになりました。


写真は6月5日に立命館アジア太平洋大学東京キャンパスへ伺った時のものです。

書評をいただいていたことを、今年3月に初めて知った私は、11年という歳月を経て、ようやく出口さんに巡り会えたのです。

不学の身も顧みず樋口一葉クロニクルを構想した私は、その間ずっと『樋口一葉の兄たち 自由民権の明治二十年』にかかりきり、今や浦島花子のようになっております。

出口治明さんは2021年に脳卒中で倒れられましたが、強靭な精神力で厳しいリハビリに耐えられ、22年には大分にある立命館アジア太平洋大学(A P U)学長職への復帰を果たされるまでに、奇跡的な回復を遂げられています。23年には学長任期を終えられ、現在は特任学長補佐として東京キャンパスに電動車椅子で通勤されておられます。

『なつ』の書評を書いてくださった出口さんにお目にかかるので、今日は撫子の着物を身につけて参りました、と申し上げると、つくづくと和服を見つめ直され、「ほんとだ」と目を輝かせられました。青年のようなお声でした。撫子には常夏の異称があります。

詩人アラゴンの言葉「教えるとは共に希望を語ること。学ぶとは誠実を胸に刻むこと」を改めてかみしめる思いでした。

樋口一葉の妹邦子のお孫さんで白山御殿坂下にお住まいの入沢和子さんへも、『淡交会報』と新年会の写真をお送りしました。九十歳を超えられた麗人は、電話口で「いいわねー、楽しそうねー」と若々しいお声で喜んでくださいました。わたしの入学当時、男子生徒数は女子の三倍、中庭で在校生と入学生とが対面して礼をしあう古風な顔合わせ儀式の際には、真っ黒い壁が目の前に聳え立ったようで「ちょっと怖かったです」と申し上げると、孫邦子さんはしみじみとしたお声で「男の子は優しいのよ」とおっしゃいました。私も「はい。涙が出るほど優しいです」とお答えしました。

その孫邦子さんにご登場願ったごく短いエッセイが、単発ながら講談社文芸雑誌『群像』十月号に掲載されます。五千円札の顔が一葉から梅子になりますでしょう、それについて書きました。お目に留まりましたら本当に幸いです。『樋口一葉の兄たち』の刊行が決まったら、今度はいよいよ『樋口一葉の姉妹』へ取り組む所存です。

同窓の方々の肝煎で、講演会のご依頼もいただけるようになりました。一つ一つ、大切にこなしてまいります。さらに嬉しいご報告ができますよう、これからも精一杯努力をつづけます。どうぞお見捨てなく、よろしくお願い申し上げます。

皆様のご無事とご多幸を心よりお祈りしております。             感謝

                          領家髙子(71回:前田貴子)

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